夢  藤森 重臣

「先生、この頃、変を夢を毎晩見るんです」
「ほう、どんな夢なんです?」
「はい、いつも真っ暗闇の中にいる夢なんです」
「それが、どうして変なんです?」
「それが、夢の中で声が聞こえるんです。『ほう、やっと目覚めたね』と言う。そして暗闇の中に暫くいると、目が覚めるんです。そんな夢を毎晩見るんです」
「ふ~む、その夢を見るようになってから、何日位たちますか?」
「丁度、一ケ月です」
「まあ、大して心配することは無いと思うんですが、ここ二・三日様子を見て、それでも気になるんでしたら、その時にいらっしゃって、精密検査等をやりましょう」
 後めたい思いを背負いながら彼は病院を出た。変な夢を見るようになってから丸一ケ月。セールスマンである彼の仕事も、碌に手が付けられなくなってしまった。何か変な予感がする。それにこの頃 何だか頭がぼうっとしている様な感じだ。然し、こんな夢は直に見なくなってしまうのかもしれない。こんな事を考えながら、きょうの彼の一日は夢の様に過ぎて、日はとっぷり暮れて行った。
 その晩、彼は中々寝着かれなかった。あの決まり文句を聞くと考えると、戦慄が全身を這って寝られなかったのだ。体中が、がたがたと震えて、心では寝まい寝まいとするのだが、時計の長針が 回転すると、彼は既に真っ暗闇の世界にいた。
「ほう、やっと目覚めたね」
 聞いた! きょうも聞いた!正しく悪夢だ。悪魔の仕業だ。こんな夢を毎晩見るなんて、何てこった。働き過ぎだろうか。過労が原因だろうか。だが、待てよ、考えてみれば恐ろしい事は何一つ無いのだ。只、声が聞こえる丈なのであり、それも決ま少文句なのだから。
 決まり切っているから、かえって恐ろしいのかもしれない。一ヶ月も同じ夢を見続ける確率はほとんどゼロに等しいだろう。そのゼロに等しいものが現に起こっているのだ。これこそ怖いのだ。理由が掴めないから恐いのだ。然し、身体的に危害を加えるでもなし、そうかと言って、あまり思い詰めるとノイローゼになってしまうかもしれない。深く考えない事だ。夢を見るというのは、抑も健康な証拠ではないだろうか。医者も言っていた様に大して心配する事は無いのかもしれない。なあに、暫くすればすぐ目が覚める。そうすれば、又仕事が始まるんだ。それにしても、きょうの夢は少し長いみたいだなあ。
「ちっとも長くは無い。きょうの夢は寧ろ短かゝったよ」
 そう言う声は、毎晩決まり文句を言う声だ。
何故、きょうは別の言葉を言ったのだろう?
「解らないかね。君の住んでいる所は、この暗黒の世界。君は毎晩、セールスマンの夢を見ていたのだよ」


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