はじめまして @   志賀 隆生

 生まれは東京なのですが、現在は千葉に住んでいます。
 僕がSFを読むようになった動機は、小さかった時から科学に憧れていたため(現在はそうでもなくなっちゃいましたが)ですが、年をとるにつれ、そしてSFをたくさん読んでいくうちに、SFのSはサイエンスなのか、ということに疑問を持つようになってきました。トリック偏重の推理小説があまりおもしろくないように、『科学』小説はあまり感心できません。このごろ、SFの方から科学という呪いから逸脱しょうとする動きが盛んになってきましたが、当然のことでしょう。
 現在は、SFが高級通俗娯楽小説の地位に甘んじるか、純文学(?)の牙城に喰い込めるかどうかの大きな境目にきているのではないか、と思っています。生まれはよかったんですが、アメリカという歓楽街で通俗小説として系統づけられ、成人してしまったSFですが、SFを愛する僕としては、そのころの思い出---つまり、ハインラインとかアシモフ---は、思いきって捨てさってしまった方がいいんじゃないかと思っています。
 おそらくたくさんの人が味わったことがあると思いますが、たとえばプロ野球でもほかのスボーツでも、みんなから弱いよわいといわれてきたチームあるいは選手に、他のファンはほとんどだれも声援をおくろうとしなかったのにもかかわらず、唯一人声援を送りつづけ、彼らが非凡な能力を有しているとしったとき、そしてそれまで気にもかけられなかった他のチームと戦い、それを打ち破った時に感じる---実際自分とはなんの関係もないのですが---満足感、それを今僕はSFに感じています。だから、現在の僕は、SFナショナリスト(つまり国際試合で、日本人が勝つと興奮する奴)といってもいいかもしれません。SFを腐敗と堕落に導くものに災いあれ!
 SFのほかには、フォークソングと写真に凝っています。
 フォークソングは、本人死にたくなるほど音楽に関しては無能者なので、もっぱら聞き役ですが、しかもその範囲は非常に限られています。一時、フォークゲリラという言葉ができましたが、ほとんどその方面の歌---というよりも、メロディのない「語り」のようなものですが---しか聞きません。
 写真の方は、これまた才能に関しては、はなはだ疑問なのですが、その時間定着作用、その他に非常に興味をひかれているところです。でも、やっている人ならわかると思いますが、まともにやろうと思うと、えらく金を食うのです(もっとも、そんなに大さわぎするほどの金額ではないかもしれませんが、親のすねをかじっている貧乏浪人なものですから)。僕の本棚に並ぶはずの本も、大部印画紙に変ってしまいました。現在、ポートレート(女性の顔のこと)を撮りたいのですが、モデルがいなくて大いにこまっています。


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