綾の鼓  島内 勇

 青山小二部は堀割下水から下野へ歩を進めていた。格別の用とてなかったけれど小旗本の三男坊では、無卿をもてあましていたのである。
 水木の所でも行ってみるか、小三郎は足を止めた。水木源之進は幼い時からの朋友であったし、次男坊と言う同じ境遇をかこっていることもあって、気のおける仲であった。そう思うと自然足も速くなっていた。
 「小三郎、良い所に来たな、まあ上れ。」開口一番、源之進はそう言った。冷や飯喰いの遠慮もあって、庭先をまわった縁辺であった。そこで源之進が見せたものは、古色蒼然とした、それでいて、何やらさっっぱり正体の握めないしろものであった。
 「なんだ、それは」
 「いかさま、これを何と見る」
 源之進は薄笑いをしていた。小三郎は居心地の悪そうに居住いを正した。そしてまた、やれやれとも思った。彼はこの様な判じ物を推てる事を得意としなかったからだ。
 「そうさな、陣中腰掛けとも見えんが・・・」
 確かに小三郎がそう言ったように、それは、紐で拵らえた円筒形の腰掛けとも見えた。ただ、いかにも妖しくとりすましているが、何とも不気味でもあった。
 「解らぬか、鼓じゃ、鼓じゃ」
 「鼓?」
 成程、それは鼓であった。いやそう見えた。
 小三郎の目の隈に何やら白いものが動いた様だった。
 その方に眼を向けたが、そこには何もなかった。
 「小三郎、いかがした、そのようにあたりを見まわして?」
 「はて、今確かに、人影を見たのだが・・・」
 源之進は一笑に附し、しっかりせい、いくら冷や飯喰いとて、腹に力が入らんことはあるまい、 ねぼけまいぞ、彼は大口を開いて笑っていた。
 少三郎はつくづくいやな日じゃと思っていた。
 「小萩殿の事じゃ」
 水木の姉のはからいで、久し振せに洒に酔っていた小三郎は、うつらうつらして源之進の話を聞いていた。
 「聞いているのか 小三」
 「う。うむ、稲垣殿の御息女であろうが、…それがいかがいたした」
 「実は小。俺は・・・俺は・・・」
 水木は手にした盃を一つもロに運ばず、膝頭に目を落していたが、思いきったようにして青山小三郎の手をとった。小三郎は、それをうるさそうに大迎に振り払った。
 「青山。たのむ、金丁をしてくれないか」
 「ああ・・・」
 小三郎は腰の脇差兼光助貞の鯉口を切って、冴々とした鍔鳴を響かせた。辺は相当に暗くなって来ており、彼等の部屋にも夕闇が寄せて来ていた。その鼓の様な代物をはさんで小三郎と源之進が盃を進めていた。

 「惚れた、惚れたんじゃ」
 「お主がか・・・はは・・・笑止」
 「笑い事ではない、俺はな・・・」
 「笑い事でないのは俺の方だ、その様な色恋沙汰で、わざわざ俺に金丁を打たせたのか、いくら朋友とて冗談が過ぎる。悪ふざけはやめにせい」
 小三郎は、さき程までのもやもやと酒のいきおいから一気に言い切ると、そこにどっかとあぐらをかき、水木を見据えた。

 小半時もたつと青山小三郎は室町の方角に千鳥足で手に小荷物をもってブツブツ言っていた。
 「何故、俺が行かねばならん。惚れたのはあいつだし、実にくだらん。小萩殿、小萩殿と・・・ええい、彼奴も此奴も・・・」
 月が冴えざえとして長い影を落していた。

 小萩と云う娘は年の割に妙に落ち着き払っていた。
 「水木源之進様からとか」.
 「左様」
 「かかる夜分にいかなる御訪門でいらせられますか」
 「いや・・・その・・・その、品物を言づけられたのでの」
 「拝見いたしまする」
 いやだ、いやだと小三郎は思っていた。こんな尊大な娘のどこが良くて水木の様なものが好きになったんだろう。俺みたいに、「かど屋」のお佳代坊位にしておけば、身分の不釣合なと気にせんだろうに。
 「鼓で御座居ますな、確か、綾の鼓とか・・・」
 「綾の鼓?」
 「今は、この様に皮にあたります所が張ってございませんが、ここに紗を張ったものを綾の鼓とか申します。
 あやなくて、いかに伝えん、たまづさの、文もとどかね、打てぬ吾ごころ
 かよう申し伝え下さいませ」
 小三郎が気づいた時、小萩はもう座敷に居づ、冷えたお茶の前にぽつねんとしている自分だけがいた。
 少女が敷居際に控え、
 「夜分ももう過ぎます程に御退出下さいませ」
 と言った。大きにお世話と小三部も中腹で席をたった。何も俺がほれたんじゃねえ。源之進が悪いんだ。その時また白い物が目の隈をよぎるのを見た。
 翌日の源之進は、小三郎が小気味良く思った位い、しょげ返っていた。小三部はにやついていた。
 「あやなくて、いかに伝えん、たまづさの、文もとどかね、打てぬ吾どころ
仲々いい句だなあ。解るか源、縁も由りもないものには、何ら興味はありませんとさ。うん、いい句だ」
 「うるさい・・・、鼓はどうした、鼓は」
 「あんな小汚いもの、置いて来た」
 「あれは朱雀小路小納言殿よりの賜りもの、ああそれを・・・」
久し振りに小三郎は気が晴ればれしていた。そうだ、「かど屋」に寄って一杯やっていこう。

 その時に、水木の姉の雪子が入って来た。心もち蒼ざめている様だ。水木とは一歳と離れていない筈だが、嫁ついでいるせいか姉と云うより母の様である。
 それが語るには、今朝未明、稲垣小萩が自決をはかったとの事であった。小萩には想う人があった。
 だが、妻子あるその相手との想い断ち難く自らその命を断った。
 きつい女だ、昨夜はその気配も見せなんだ。小三郎はアゴをなでていた。



 「不思議な事があるものですね」
 雪子が源之進の方をにらみながら話していた。
 「我家秘蔵の鼓が、萩女の身を縛っていたとか、まさか羽が生えて飛んでいったのではあるまいに」
 源之進はあぶら汗を流していたが、小三郎は聞きとがめた。
 「縛られていたですって・・・」
 「何んでも、萩女は鼓の紐をほどき、庭の木にそれで吾身を縛りつけ、作方通り左乳の下に懐刀をあてていたそうです。おかしいのは、その萩女の死様なのですけれど、いやがっているのに無理に自害させられた様に目を見開き、ロをくいしばって口の端から血糸がたれていたそうです。
 そうそう、懐刀をもつ手首にも紐が喰い込む様に、まきついていて、あのままでは手も動かせなかったに違いないのに、よく懐刀が
使えたと・・・」
 「綾の鼓だったかな、本当に」
 「えっ」
 「いえ、何でもありません。一人言です」
 小三郎の目の隈を白いものがよぎっていった。
 

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