当時の思い出@

記憶の絶つ人「うさお」のことなどで、40年前のあやふやな記憶なのだが・・・。

 当時は個人情報の法律もなかった時代。巻末に会員全ての住所録を付けた。しかし、出版に至るまでに2名の脱会者が出てしまったが、その人たちも麗々しく載せてあるところがご愛嬌だ。
 奪回の1名は漫画の同人の仲間だったが、彼女は高校生の時からプロ・デビューしており、この発刊当時は美大に通っていたであったが、私たちのアマチュア・レベルの低さに吃驚して辞めていったのかもしれない。無理に誘って申し訳なかったと思う。
 月一回の会合には、新宿の喫茶店「サニー」を使っていた。今思い出そうとしても、記憶に昇ってこない。「古城」、「ピットイン」などは思い出すのだが・・・。渋谷でも会合を行った筈だが、喫茶店の名前が思い浮かばない。「田園」かなあ。ただ、渋谷に勤めていたので少し敬遠した。

 名簿を見ると、記憶にはっきりと刻まれている方と、はてこの方は何方と言う両極端だ。無理もない、この当時は20歳を少し出たぐらいの年恰好で、もう就職が決まり、その会社のアルバイトをしていた。特別奨学金も受け取っていたし、時折、漫画のアシスタントの臨時収入があり、家は豊かではなかったけれども、自由になる金はあった。更に就職すると連日深夜近くまで残業し、当時、土曜日は半ドンであり、この日だけ休めた。日曜日も出ていたのだ。
 金を使う暇が無い。そこで印刷・製本代のほとんどを出していた。だからと言って、「綾の鼓」の会のドンだった訳ではない。昔からマネージメントは苦手だった。
 お金を出すことで、会合で皆が少しうさおの言うことに耳を貸してくれたのだ。自分の意見が皆に受け入れられる、それが心地良かった。
元来、人とお話をするのが不得手なうさおは、半日の会合が終わると、どっと疲れた。当時活発な同人は、傍系同人誌「腹鼓」をつくり独自の活動を展開していた。大学生が多かったこともあろうが、他の同人誌とのコラボや、イベントなどを開いていた。こちらは社会人であり、時間の自由が無く、それらを後になって知り、残念に思うこともたびたびであった。羨ましかった。
koyama嬢は、ワーキング・ガールで忙しい合間を縫って、会合に現れてくれた。
asakura嬢は、はっとするほどの美少女(高校生さんでした)だったが、2回くら来て辞めてしまった。芸能人のような名前で、本当に居たのかどうか狐につままれたようだった。